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米津玄師2ndアルバム「YANKEE」収録の4曲レビュー(再掲)

米津玄師の5thアルバムがもうすぐ発売されますね!「Lemon」を契機にウレウレ街道を爆進中の米津玄師!たまに玄米法師って間違われる人!
ニューアルバム発売に備えて、今までのアルバムやシングルを発売日順に聴き直すという行為をやっていたのですが、初期の曲もやっぱイイネ……という気持ちになりました。どの時期の米津玄師もその唯一無二のオリジナリティは変わらず。

YANKEE (通常盤)

YANKEE (通常盤)

  • アーティスト:米津玄師
  • 発売日: 2014/04/23
  • メディア: CD


で、懐かしい気持ちになっていたら、以前2ndアルバム「YANKEE」について語った感想文を古いブログから見つけたのでサルベージします。2014年10月に書いたものです。
ほんとは全曲レビューしたかったんだろうけど、途中で力尽きたので始めの4曲までしか感想書けていませんが…
続きからどうぞ!



簡単にアルバムの説明します。
2014年4月23日発売、オリコン週間チャート最高2位。
アルバムコンセプトとかそういうのは話すと長くなるので、とりあえず曲単体について語っていくつもりです。

01 リビングデッド・ユース

 → ミュージックビデオ
 → 歌詞


「散々呪いを受け取ったって 精々生きていこうとしたいんだ」


これは初めて聴いた時と現在とでまるで印象が変わった曲。初めて聴いた時は「えっ…なんかアルバムのリード曲にしてはキャッチーさに欠けてるような…」と、いまいちしっくり来なかったんだけど、ずっと聴いてるうちにこのアルバムの中でもかなり好きになった。全然飽きが来ない。そういう意味で真のスルメ曲だな~。

実写PVは、謎の外国人のおっさんが楽しそうに遊んでてめっちゃむかつく(笑) あのドヤ顔くせになるな…
映像だけ見ると、夢遊病患者とか薬物中毒者が見る幻覚みたいな感じをイメージしてるのかな?ちょいちょい出てくる米津さんとバンドメンバーたちがかっこいい。

米津さんの作る楽曲には「呪い」「願い」「祈り」「許す」あたりが定番のフレーズとして組み込まれていることが多くて、今回はそのものずばり「呪い」。
じゃあこの曲では何が「呪い」にあたるのかって話だけど、現代社会に生きる若者たちが持ってる弱さとか、社会に押し付けられた役割とか義務とか、不条理や理不尽、みたいなものなんだろう。

そういう意味では、米津さん自身も「リビングデッド・ユース=死にながら生きている若者」なのかもしれないと思う。ちょっと飛躍しすぎな感はあるんだけど。
趣味で作った曲をミクに歌わせたら動画サイトですごい評価を受けて、そのままの勢いで本人もデビュー、最初のアルバム「diorama」はその時の彼にとって最高傑作だったけど彼が思い描いたようには売れず(それでもぽっと出の新人が出したセールスとして見れば大成功の部類ではあった)、大きな壁にぶち当たって停滞していた中で自らと向き合い、「他人と関わり合わなければ」と決起してメジャーデビューした。

※そのあたりの詳しい話は各所のインタビュー記事で読める。特にナタリーの特集記事は内容が充実していて良い。ちなみに私はサンタマリアのインタ記事を読んだ時むしょうに感動してちょっと泣いた。米津さんは音楽と自分自身の内面に対してすごく誠実なんだと思う。

米津玄師1stアルバム「diorama」インタビュー
米津玄師「サンタマリア」インタビュー
米津玄師「YANKEE」インタビュー


20代前半で商業的に成功してる米津さんだけど、その分周りからの期待とかプレッシャーもあるはずで、それらも含めた私達に降り掛かってくる正と負のあらゆるものを総括して「呪い」と表現しているのではないか。
米津さんの楽曲で使われる「呪い」って、曲によって意味合いは大きく変わるけど、少なくともLDYにおける「呪い」は、個人の感情というよりはもっと大きな集団の意志みたいなもの。社会の圧力だったり集団の弱さ(「嫌い」を吊るし上げていじめを起こす、とか)だったり。その「呪い」の中でどう生きるか。…が、この曲のテーマだと解釈してる。

でもその答えは案外簡単に提示されてるんですよね。どれほど悲しみと痛みが大きくても、それは生きていく限り手放せない。だったら「精々生きていこう」と。
この「精々」ってとこがポイントだよね。苦労せず上手に生きていく=呪いを避けて生きていくことはもうとっくに諦めてるけど、諦めてるなりに楽しく生きてこうぜっていう吹っ切れた感がある。たとえ「血まみれのまま 泥沼の中」だったとしても、与えられた場所でしぶとく生きてやろうじゃないか、と。


米津さんの楽曲は、世界の残酷さとか理不尽さをひたすら語り尽くすんだけど、最終的には「それでも生きていく」という結論に帰着するんですよね。どんな場合でも。決して絶望のまま放り出したりしないのがこの人の優しさだよなあ。
(実際私も、自分の書く小説の中でここぞって時に「それでも」という表現を多用するから、めちゃ分かるわ~…ってなる…)

ざっくりと言うなら、「こんなろくでもない世の中だけど、どうせここでしか生きられないんだから楽しく歌っていこうぜ」って前向きに諦めるおうた。軽妙で一筋縄じゃいかないメロディーが、ああこの曲の主人公はまだ絶望してるわけじゃないんだなってことを示してくれる。

超個人的な印象だけど、この曲はサイコパスの縢くんのイメージです。


02 MAD HEAD LOVE

 → ミュージックビデオ
 → 歌詞


「そうさ修羅の庭にて君と二人きりで 殴り殴られ乱闘中!」


宇宙規模のケンカップル殺し愛のおうた。なんかもう歌詞のすべてがセックスの暗喩。殴り合ってセックスセックス!!殺したいほど愛してる!じゃあ死ね!!みたいな。(ひどい)

全ジャンルの殺し愛カップル達に捧げたい曲。
ちなみに私はポケモンBWのトコゲーでイメージしてる。というか米津さんの曲は私の中でポケモンBWのキャラ達と非常に親和性が高いのですがこれって運命かな!?!?ただ単に萌える部分を都合いいように当てはめてるだけともいう…でも攻撃的なタイプの曲はめっちゃトウコちゃん視点って感じがするねん…

これの実写PVは、米津楽曲の混沌とした感じをうまーく映像化してるな~。耳引っ張ったりお腹ぺこぺこ叩いたり、こういうとこも暗喩ですね!と思わずにはいられない。

米津さんの楽曲には大きく分けて2つの方向性があって、1つはこの曲のようなガチャガチャ系(?)、もう1つはしっとり系。私はどちらかといえばしっとり系の楽曲に惹かれて米津さんにはまったんだけど、ガチャガチャ系は頭空っぽにして純粋に音を楽しめるから好きです。

MHLはロマンチックな歌詞の宝庫だなと思う。特に「今はあばら屋の寝室で 恋とも言うその引力で 君とバカンスを謳歌したい」とか。具体的なものは何も描かれていなくて、すべてが抽象的な表現で彩られているんだけど、それがまさに肉体を超越して魂レベルで愛し合ってます!ということを表してるんだろう。たぶん。


03 WOODEN DOLL

 → ミュージックビデオ
 → 歌詞


「自分嫌いのあなたのことを 愛する僕も嫌いなの?」


タイトルを直訳すると「木の人形」。でもwoodenには複数の意味がある模様。

wooden → 意味
(1)木でできた、木製[木造]の
(2)人・場所などが(木(像)のように)堅い、活気のない、無表情な
  〈動作が〉堅い,ぶざまな
(3) 融通のきかない、愚鈍な、間の抜けた


タイトルだけでもうこの曲のすべてを表されてる感じ、ある。
絶望や諦観を嫌になるほど味わって、痛みを呪い続ける「あなた」を見つめ続ける「僕」のおうた。

「あなた」本人は、自分は壮絶で悲惨な人生を歩んでいる!と思い込んでるんだろう。
本当に目も当てられないくらいの人生なのかもしれないし、もしかしたら別に大したことない、誰もが経験する痛みに過剰反応してるだけなのかもしれない。
「あなた」の経験した痛みが客観的に見ていかほどのものであるかを窺い知ることはできないけど、少なくとも「あなた」自身にとっては世界すべてを呪いかねないほどに深刻な問題だ。

そして「僕」は、そうやって痛みに耐えて生きる「あなた」の姿をずっと見ている。
「あなた」が抱える弱さも、過去におびえる臆病さも、全部全部知っている。見抜いている。

「僕」は「あなた」の臆病な生き方を否定しない。その代わり全肯定もしない。「あなた」の不器用な言動の中にひそむ本音を掬い上げて、次から次へと言語化していく。
あなたは自分が傷つくのが嫌なだけなんだ。あなたが相手を拒絶するのは、相手に拒絶されるのが怖いからだ、と。
それは紛れも無い事実であるが故に、「あなた」を追い詰めていく。

でも!でもですよ!!その一方で、誰よりも傷付いている「あなた」にしか持てない「正しさ」があることも「僕」は知っているし、Cメロでは「あなたが思うほどあなたは悪くない」って優しく抱きしめてくれるんです!!(妄想)
何よ!今まで散々追い詰めるような言葉ばっかり突き刺しておいて!Cメロで急に優しくなるなんてずるい!!でも好き!!!萌える!!

Cメロの溢れ出る優しさがつらい。なんだかんだいって「僕」が「あなた」のことを何よりも大切に想ってて、ずっと傍らで見守ってきたのが分かるからつらい。優しく背中ぽんぽんしてくれながら、あなたは悪くないんだよって言われてみ?泣くじゃろ????
きっとこの時、強がりで意地っ張りな「あなた」は、「僕」の腕の中で悔しそうに震えながら涙をこらえていることでしょう。かわいい。


そして「僕」は、いよいよ言うわけです。「でもね」って。

これは私の妄想ですが、「僕」は今まで長いこと「あなた」のそばにずっと居たけど、「あなた」の生き方や言動に口を挟むことは一切なかったんだろうなあと思う。なんかこう、主従関係みたいな。昔から幼馴染ではあったけど、「あなた」は主君で「僕」は従者の立場。主君に直接進言することはなく、ただひたすら主君である「あなた」に付き従っていた。でも人の上に立つ者として心を尖らせ続けていた「あなた」がとうとう折れそうになった時、やっと「僕」は自分の本心を吐露する。そんな積年の思いを詰め込んだのがこの曲なのかもしれないなー!?って妄想しました。今。

だからこの「でもね」は、「僕」が生まれて初めて使った逆説の言葉なのかもしれない。「誰かがくれたもの数えたことある?」と初めて「あなた」の生き方に疑問を呈し、「無理にでも思い出して」と願い、「じゃないと僕は悲しいや」と自分の心情を言葉にした。
それら全てが「僕」にとっては初めての経験。朴念仁の「僕」が、ツンデレ不器用な「あなた」に初めて気持ちを伝えた。もうこれハッピーエンドにするしかないやん!?
上にも出しましたが、「自分嫌いのあなたのことを~」っていう歌詞のキラーフレーズっぷりは凄い。こんなこと言われたらまともな顔で答えられる自信ないですねそうですね。

この曲のMVは、なんだかネイティブアメリカンちっく。曲調がそんな感じだからかな。
YANKEEには移民って意味もあるそうだけどそれも意識してるんだろうか。


04 アイネクライネ

 → ミュージックビデオ
 → 歌詞


「閉じた瞼さえ鮮やかに彩るために そのために何ができるかな」


東京メトロのCMでお馴染み。初のタイアップ先が東京メトロで本当に良かった。最初にアニメ系のタイアップ取ったら、「そういうもの」だと見做されそうでそれは違うよな~と思っていたんですよね。確かに動画サイト・ボーカロイド畑で有名になった人だけど、音楽の方向性がそこに縛られたら表現がすごく狭まってしまいそうだし。

タイアップなだけあって、良い意味で万人向けな、耳に馴染みやすいメロディーと普遍的な歌詞です。すっと歌詞世界に入っていける。
米津玄師の曲って基本小難しい内容ばっかりだから、ここまで素直な曲はとても珍しいなと驚いたし、こんな曲も作れるんだ…!と謎の感動を覚えた。
それでも編曲の節々に「おっ」と思うような意外性のある音があったり、揺らぐようなBメロだったり、米津節が炸裂している。普遍性と独自性がうまい具合に両立してるなという感じ…ってこれすごい上から目線のコメントですね申し訳ない…

MVも久しぶりに米津さん自身によるフル手描き動画。力入ってるな~!
もとから画力とセンスがあったけど、アイネクライネのMVでは二次元的なイラスト絵がこなれてきて、取っ付き易くなったと思う。
以前の、緻密かつあまり生気を感じない無機質な絵柄も好きです。どちらも味があって良い。

歌詞も曲調も本当に優しさにあふれていますね。でもどこか脆くて不安定な部分もある。その脆さは「有限なものへの怖れ」であり、「恋を知って欲深くなっていく自分への怖れ」なんだと思う。

「有限なものへの怖れ」っていうのは、すべてにいつか終わりの時が来るということ。
主人公である「あたし」は、「幸せな思い出」を紡ぐ毎日の中で常に「いつか来るお別れ」を思い描いている。
積み重ねてきた「小さな歪み」がやがて大きな溝を作り、「あなたを呑んでなくしてしまう」=今の関係に終わりをもたらしてしまうことを怖れている。
永遠に続いてほしいと願うものほど有限であり、早く過ぎ去ってほしいものほど消えずに残る。主人公はその矛盾にいつも怯えているような感じがします。

でもその隣にいてくれる救世主が「あなた」なんですよね。主人公がおそれる「消えない悲しみ」や「綻び」も、「あなた」と過ごしていく日々の中できちんと受け止めて、「それでよかったね」と笑い合うことができるようになる。
「仕方ないね」とか「なければいいのにね」じゃなくて、「それで(=悲しみや綻びを経験することができて)よかったね」なんですよ…決していいことばかりじゃなかったはずなのに。


でも案外私達もこういう覚えありますよね。あの時は死ぬほどつらくて何度やめてやろうと思ったか知れないけど、振り返ってみればあの辛さは一度知っておくべきものだったんだろうなと思えるし、なんだかんだでいい経験だったかもなあー…という場面って意外と多い。
「あたし」が経験した「悲しみ」や「綻び」も、きっとそういうものだと思う。

有限であることを怖れていた「あたし」だけど、「あなた」と出会って共に日々を過ごし、その幸せを噛み締めながら「奇跡であふれて足りないや」とつぶやく。
足りないんですってよ。奇跡であふれて足りないんですってよ!!それはもう有限ではなくなってますよね!!ずっとずっと続いていく奇跡ですよ!よかったじゃん!!
悲しみや綻びは消えないけど、それと同じように奇跡だって消えることはない。だから最低でも「悲しみ:奇跡」はイーブンのままで生きていける。


「恋を知って欲深くなっていく自分への怖れ」に関しては、1番と2番のAメロの対比がとても鮮やかですよね。
1番Aメロは、「あなた」と出会わず、恋も知らなかった頃の心境。
「誰かの居場所を奪って生きるくらいなら、そこらへんの石ころにでもなりたい」と、徹底的に無欲です。自分の幸せより他人の幸せ。石ころなんて、誰の邪魔にもならない代わりに、自分自身の意志や感情の揺れもない。ぞっとするほどつまらない人生です。

2番Aメロは、「あなた」と出会い、初めて人を愛することを知った頃の心境。
「『あなた』が窮地に立たされるくらいなら、誰かが身代わりになってしまえばいい」と、ちょっと怖いことすら考えている。顔も知らない誰かなんてどうなったっていい、それよりも今は身近な人の安寧を守りたい。
究極のエゴですよね。でも誰しもが当たり前に思うことでもある。それを傲慢だとか強欲だとかいって非難していいのは、それこそアガペー精神にあふれた聖人くらいだ。今まで罪を犯したことのない者だけこの女に石を投げなさい的な?
今まで無欲に徹していた「あたし」が、恋を知り愛を知り、人として当たり前の欲深さを得る。石ころが人間になれた瞬間だよ…


そして「あたし」にとっての最大の愛情表現は「名前を呼ぶ」ことなんですね。これ私自身も表現を変えて何度も何度も口酸っぱくして言ってることなんですけど、「好き」や「愛してる」って形ばかりの言葉なんかより、名前を呼ぶという行為こそが究極の愛の言葉だと思います。名前とは存在の証明。あなたはここにいると認めること。
だから「あたしの名前を呼んでくれた」は「あたしを愛してくれた」の言い換えだし、「あなたの名前を呼んでいいかな」は「あなたを愛してもいいかな」って意味なんですよ。なんともロマンチックな比喩ですねえ…


luica.hatenadiary.com


ちなみにこれは4thアルバムの感想文です。こっちはちゃんと全曲レビューしてるよ!